三 江戸時代後期以降の花札 (一)伝狩野芳崖筆の花合せかるた 狩野芳崖『花鳥合せ』 (『日本の名画1狩野芳崖』) 「寶永二年拝領花合せかるた(仮称)」の発見によって改めて注目されるのが、幕末期 (1854~67)の 狩野芳崖筆と伝えられる花合せかるた である。これの存在は昭和五十一年(1976)刊の『日本の名画1狩野芳崖』(中央公論社)で以前から知られていたが、所蔵者が不明でそこ... 館長
二 元禄年間後期の花合せかるたの発見 (三)後世の花札図柄との異同 後世の花札の図像との関係で、対応するこのかるたの紋標で、個別に気になる札が何枚かある。 元禄年間花合せかるた(橋上の歌人等) 紋標・桜の生き物札が消失しているので、そこに鳥が描かれていたのか、すでに幕が描かれる御殿桜になっていたのかが不明である。 紋標・杜若の生き物札には八つ橋があるが、そこに公家の座る姿がある。あるい... 館長
二 元禄年間後期の花合せかるたの発見 (二)花合せかるたの百紋標の内容 この花合せかるた札の紋標は札の上の記載に従えば次の様に整理される。参考までに( )内に私の判断で今日の表記を加えた。 元禄年間花合せかるた① 元禄年間花合せかるた② 元禄年間花合せかるた③ 元禄年間花合せかるた④ 【あ行】朝顔、あざみ(薊)・一枚欠、あほひ(葵)・一枚欠、あま茶(甘茶)・一枚欠、あわ(粟)、いちはつ(一... 館長
二 元禄年間後期の花合せかるたの発見 (一)元禄年間後期、土佐光成筆の花合せカルタ この時に発見された新史料は、元禄年間(1688~1704)、多分その後期(1698~1704)の花合せかるた一組である。百紋標・四百枚の内、百紋標・三百六十三枚が残されていた。正式には、「寶永二年拝領花合せかるた」(元禄後期手描き花合せ(1)、元禄後期手描き花合せ(2)、元禄後期手描き花合せ(3)、元禄後期 手描き花合... 館長
一 花札史の研究 (五)めくりカルタ代用品説を否定する史実の発見 花鳥合せ(村井カルタ資料館蔵、 『別冊太陽いろはかるた』) 私は、昭和五十年代(1975~84)に花札史の研究を始めたが、当初は、この清水晴風、村井省三の通説を疑うことはなかった。だが、通説を支える史料の乏しさが気になっていた。それに加えて、大平与文次や永沼小一郎など、清水晴風以前に花札の沿革を研究した者の、清水晴風の... 館長
一 花札史の研究 (四)清水晴風の理解の通説化 尾佐竹猛「下等百科辭典」 一方、清水晴風説の影響力は極めて大きく、田口卯吉は明治四十年(1907)の『日本社會事彙』で「花鳥合は貝合の文字を繪画にせるものにて、四季の花鳥を取合せ、其数三百余枚に及び、四枚を以て一組とす。児童の教育には恰当(こうとう)の遊戯品たり。ウンスン骨牌禁止の時、上流社会の娯楽品として案出され、歌... 館長
一 花札史の研究 (三)永沼小一郎による花札の由来の紹介 永沼小一郎「古今室内遊戯餘談」 花札の歴史研究にとって重要な明治期の文献の一つが、雑誌『風俗画報』に掲載された、永沼小一郎の「古今室内遊戯餘談」という論文である。永沼は「花カルタ」の由来、創始者が残した古い遊戯法、「合駒骨牌」という遊戯法について述べている。私は『ものと人間の文化史167 花札』で永沼の生涯と事跡につい... 館長
一 花札史の研究 (二)清水晴風によるめくりカルタ代用品説の提唱 清水晴風「花加留多考」 この、大平与文次の記事は、発表当時からほとんど注目されることなく埋もれてしまっていた。そこに登場して、花札の歴史認識に決定的な影響を与えたのが、明治三十八年に骨董好きの集団「集古會」の機関誌『集古會誌』乙巳巻之三第四号に掲載された、清水晴風の論文「花加留多考」である。私は、これについても『ものと... 館長
一 花札史の研究 (一)大平与平治による花札の歴史の解説 大平与文次「骨牌類」 花札は、明治十年代(1877~86)の末に売買が解禁され、明治二十年代(1887~96)に一大ブームとなった。だが、それまでは、明治前期(1868~87)に博徒が行う博奕の用具として多用されたこともあって遊技具としてのイメージは悪く、解禁後もその歴史を学術的に探求しようとする者はほとんどいなかった... 館長
二 「舞台芸能かるた」の変化 (三)その後の「舞台芸能かるた」 江戸時代後期(1789~1854)以降の「舞台芸能絵合せかるた」としては、まず、木版の歌舞伎役者かるたがある。江戸の歌舞伎のかるたは江戸で作られ、上方の歌舞伎に関するものは、京都、大坂で作られた。それについては、後に項を改めて詳述する。 これ以外の「舞台芸能かるた」については、史料が散逸していてよく分からない。古書市な... 館長
二 「舞台芸能かるた」の変化 (二)江戸時代中期の「役者かるた」 宝暦年頃役者かるたいろは文字合せ(『清水晴風手控え帳』) ところが、最近になって、明治時代(1868~1912)の「玩具博士」清水晴風が好事家集団集古会の展示会に他の会員から出品されたかるたを模写した手控え画帳を観る機会があり、そこに「宝暦ノ末頃役者かるたいろは文字合九十六枚の内 安田君所蔵」と書かれた絵札九枚が模写さ... 館長