三 一紋標・四枚の「絵合せかるた」の歴史 (五)絵合せかるたの制作年代の測定 発見者である私の思いは、かるた札の制作工程に及ぶ。江戸時代の朝廷に「歌留多所」という部署があったとは知らない。つまり、美麗な絵合せかるたは内裏の中で制作されていたものではない。そうではなく、内裏のすぐ近くに店を持つ、二條通り周辺の手描きかるた屋に発注して、繪所預が描いた図像を生かして、かるた屋の工房でその技を生かしてか... 館長
三 一紋標・四枚の「絵合せかるた」の歴史 (四)絵合せかるた札は江戸期のミニアチュール絵画の粋 絵合せかるたのかるた札は散逸が激しいが、何点かの遺品がある。その中で特筆するべきなのは兵庫県芦屋市の滴翠美術館が蒐集した何点かのもっとも古く、美麗なかるた札である。また、大聖寺や宝鏡寺などの京都の門跡寺院にも、何点かのきわめて上品な、細密画法で描かれたかるた札が伝えられている。これらは、絵合せかるた史の研究上は最重要な... 館長
三 一紋標・四枚の「絵合せかるた」の歴史 (三)使用するかるた札の枚数の削減と図像の変化 四枚絵合せかるたでは一組の札が合計二百枚、ないし四百枚になって大部に過ぎるので、実際に遊技する際には一組の札を全部使うのではなく、貝覆の遊技法と同じように、一部の札に絞って少ない枚数で遊技して、ゲームをスピードアップするとともに札を釣り取りやすくする遊技法の改良が起きた。それに応じるように、絵合せかるたの札の構成にも変... 館長
三 一紋標・四枚の「絵合せかるた」の歴史 (二)釣り取る相手を選ぶ遊技法の登場 日本の遊技文化の歴史を見ると、新しい遊技が登場して古い遊技を凌いでいく過程は、何か大事件があって古い遊技が断絶して一挙に交代する革命劇が起きるのではなく、古い遊技が遊ばれている社会に新しい遊技が後発して、両者はしばらくの間併走して競争し、そのうちに新しい遊技法の人気が高まってそちらを用いる人々が増えて、古い遊技法が徐々... 館長
三 一紋標・四枚の「絵合せかるた」の歴史 (一)一紋標が四枚の「絵合せかるた」の誕生 こうして貝覆の伝統を引き継いで成立した絵合せかるたであるが、数十年後の貞享年間(1684~88)や元禄年間(1688~1704)になると、図像は二枚が対をなすものから二枚とも同一の図像の、制作が簡便で安価なものに替わり、ただ札の図像の主題を説明する文字が、一枚では漢字で、もう一枚では平仮名で書かれている点で、前段階のか... 館長
二 一対・二枚の「絵合せかるた」の 発展史 (三)「絵合せかるた」一組の札の枚数 絵合せかるたの魅力は何といっても二枚の合い札を並べたときに出現する図像の楽しみにある。「源氏物語絵合せかるた」では、光源氏を巡るその巻のストーリーの情景が眼前に現れる。似たような場面での混乱を避けるように巻名が表示される。「譬え絵合せかるた」では、二枚の図像を合わせるとその譬えの意味合いが図像として理解できる。虫尽し、... 館長
二 一対・二枚の「絵合せかるた」の 発展史 (二)一対・二枚の「絵合せかるた」の遊技法 文献史料では、『毛吹草』の「付合」の部分に、「袷(あはせ)」と「繪合(ゑあはせ)」に「賀留多(かるた)遊」があり、延宝三年(1675)の『吉原大雑書』は、今の女郎はあさましいという感想を述べる際に、昔の遊女について「あわせかるたうたかるたけんしさかもり哥あわせ哥やれんかやしをつくりさもけたかくもじんしやうにしほらしくお... 館長
二 一対・二枚の「絵合せかるた」の 発展史 (一)一対・二枚の「絵合せかるた」の発展史 私は、以前から、絵合せかるたの歴史に関心が強く、考えるところがある。これからその概略を説明しておこう。それはおおむね次のようなものである。 江戸時代初期(1603~52)、前期(1652~1704)には、平安時代から伝わる「貝覆」 の遊技から派生して、対になる図像、あるいは同一の図像が描かれた五十対・百枚ないし百対・二... 館長
一 「絵合せかるた」の発祥 (五)「舞台芸能絵合せかるた」の研究 絵合せカルタ史の研究で次に生じたのは、絵画史料を駆使する江戸時代の狂言史の研究者、藤岡道子と私による「狂言かるた」の研究である。この研究では、福岡県大牟田市の市立三池カルタ・歴史資料館蔵の「狂言かるた」が活用された。藤岡は以前からこれの研究に関心を示していたが、肝心のかるた札で利用できるものに恵まれず、わずかに以前に京... 館長
一 「絵合せかるた」の発祥 (四)「譬えかるた」史研究の進展 絵合せかるたに関する山口吉郎兵衛の研究を継いだのは息子の山口格太郎である。山口格太郎は、昭和四十年代(1965~74)以降に、雑誌のかるた特集号などで日本のかるたの歴史について簡単な解説文を書くことが何回かあり、その際には、父親に倣って、外来のカルタ、歌かるた、いろはかるたと進み、末尾で絵合せかるたに言及するのが常であ... 館長
一 「絵合せかるた」の発祥 (三)早々に消えた「武者絵合せかるた」 女武者絵かるた (滴翠美術館蔵、『季刊銀花13号』) こうした絵合せかるたの中で特別の関心を呼ぶのは「武者合せかるた」である。山口吉郎兵衛の『うんすんかるた』には、慶安年間(1648~52)頃の「女武者絵カルタ」断片三十九枚と元禄年間(1688~1704)の「唐土武者絵合せカルタ」五十対・百枚が挙げられており、他に、大... 館長
一 「絵合せかるた」の発祥 (二)「絵合せかるた」の研究史 御船印絵合せカルタ(東京国立博物館蔵、 『日本の美術32遊戯具』、江戸時代前期) 絵合せかるたについては、研究の蓄積が乏しい。山口吉郎兵衛の『うんすんかるた』は、まず「外来カルタ」を扱い、次いで「貝覆・貝覆系統カルタ」を扱った。後者の「貝覆・貝覆系統カルタ」では、さらに細分化され、「貝覆」「歌貝」「歌カルタ」「絵合カル... 館長