五 復刻作業の反省 (二)版木上のカルタの配列 次に、これはミスではなく、嬉しい新たな発見であったのだが、この版木におけるカードの並べ方は、ポルトガルから伝来したカード・ゲームの遊技法、特にトリック・テイキング・ゲームである「合せ」におけるカードの強弱に従っていた。それは近代的な発想で横に並べた神戸市立博物館の「天正カルタ版木重箱」では想像もできなかった構成であった... 館長
五 復刻作業の反省 (一)国産初期の「三池カルタ」版木の出現 こうして、「三池カルタ」の復元は完成した。開館後の「三池カルタ記念館」では、やはり来館者の注目はこのカルタに集まり、江戸時代初期のカルタのイメージを明確に伝えることができた。数百万円の高額の費用を要した事業であったが、取り組んでよかったと思っている。 しかし、反省するべき点ももちろんある。最大の反省点は、平成十四年(2... 館長
四 「三池カルタ」の復元 (八)外箱製造の追加 「三池カルタ」の復元作業では、当初は、予算の関係で収納箱は制作できなかった。だが、それではさすがに寂しいし、せっかく出来上がったカルタがかわいそうでもあるので、後年になって、松井に依頼して桐の木箱を制作した。もともとの三池カルタは紙包みであったと思われるので、桐箱は歴史の逸脱に思えてためらったが、将来の所蔵者たちの保管... 館長
四 「三池カルタ」の復元 (七)裏紙の「縁返し」、「クリ」、「角出し」 似たような事情が裏紙の縁返し(へりかえし)幅の問題にもある。松井に依頼したのは、滴翠美術館蔵の「三池カルタ」なみの縁返し(へりかえし)幅であり、四百年前に「三池住貞次」が実現していた幅そのものである。カルタ館が求めた縁返し(へりかえし)幅は、江戸時代、明治時代(1868~1912)のカルタ職人が実現してきた水準でもある... 館長
四 「三池カルタ」の復元 (六)骨刷りと色入れ 次に、いよいよ仕立ての問題である。 天正カルタ復元で最大の困難が仕立ての工程にあることは予想されていた。松井が苦労するのは事前の話合いの段階から分かっていたことである。念のために説明しておくと、日本のカルタ制作の主流は、合羽(かっぱ)摺り、つまり美術の世界でいうステンシルの手法である。まず版木でデザインの輪郭を彫り、そ... 館長
四 「三池カルタ」の復元 (五)顔料の選定と配色の決定 「天正カルタ彩色見本・フロレス・カード(スペイン、1583年頃)」 次に、使用する顔料の問題がある。まず、顔料については、スペインのセルビア市に行き、「旧植民地公文書資料館」に残されているフロレスのカルタが鉱物性の顔料を用いていることを調査し、さらに、欧米各地の博物館や個人のコレクションに残されている十七~十八世紀のス... 館長
四 「三池カルタ」の復元 (四)十六世紀のカルタ用紙の選定 復元天正カルタに使用する用紙についての検討も行った。復元作業ではまず滴翠美術館の山口格太郎に相談し、滴翠美術館の「三池住貞次」の「三池カルタ」に用いられている用紙が以前に行った紙の専門家の科学的調査でこうぞ和紙と判明しており、繊維の長さから九州産であろうと推定されているデータをいただいたうえで、それならば八女市のこうぞ... 館長
四 「三池カルタ」の復元 (三)版木の復元 次に、復元の実際の工程に入ることになったが、ここで多少の混乱が生じた。助言者の私は、復元工程全体の見込みをつけることを優先したかったが、当時、大牟田市職員の三池カルタ記念館開設担当者の欠勤が続く異常な事態になっており、残された準備委員(非常勤職員)は独力ですべての準備を進行させなければならない立場に追い込まれており、そ... 館長
四 「三池カルタ」の復元 (二)復元カルタのデザインの推定 まっさきに問題になったのが、カルタのデザインである。なにしろ、「三池カルタ」は残存するものがなく、わずかに兵庫県芦屋市の滴翠美術館に「三池住貞次」作のカルタの「ハウのキリ」(棍棒の王)のカードが一枚残っているだけなので、デザインが分からない。以前は安田財閥の松廼舎が一組持っており、その一部、カード五枚の模写図が明治年間... 館長
四 「三池カルタ」の復元 (一)復元計画の樹立 復元三池カルタ(三池カルタ記念館、平成期) 福岡県大牟田市立三池カルタ記念館は、同地が安土桃山時代に日本最古のカルタの制作地であり、「三池カルタ」がその優れた品質から一躍全国ブランドになっていたことを記念して、大牟田市が平成三年(1991)に市立図書館との複合施設として開設したものである。同館は、その開館にあたって、郷... 館長
三 ポルトガルのカルタの遊技法 (六)カルタ遊技場面と慶長年間制作説の是非 大和文華館の学芸員として成瀬の後輩になる林進は、平成三十~三十一年(2018~19)に「国宝『婦女遊楽図屏風(松浦屏風)』の再評価〔前編〕〔後編〕」を表して、矢代の慶長年間(1596~1615)制作説を再評価している。論文の付記に依れば、林は、平成十六年(2004)年に未完成で終わった草稿を、自分の怠惰を反省して十二年... 館長
三 ポルトガルのカルタの遊技法 (五)「松浦屏風」の絵師をめぐる新たな謎 紋標コップのソウタ(右:天正カルタ・三池カルタ歴史資料館、左:松浦屏風・大和文華館) なお、その後、平成三十年(2018)になって、小田茂一が、まったく新しい着想でこの屏風絵を解析した。小田は、カルタに興じる右側の遊女がまとう打掛が「三つ巴紋」であることに注目した。「三つ巴紋」自体は古くから存在していたが、ここでは、元... 館長