四 西日本に広がる「まめカルタ」 (一)「まめカルタ」は「かぶカルタ」の西日本バージョン 任天堂の製品一覧ポスター 「きんごカルタ」と「かぶカルタ」の関係を考えるにあたって、もう一つ見ておきたいのが「まめカルタ」系の賭博カルタである。現代まで残った地方札としては、一組四十八枚の「九度山」と、一組四十枚の「目札」「 小丸 」「 大二 」が知られている。その使用地として、制作者の任天堂が明治後期(1902~12... 館長
三 九が勝数のかぶカルタ遊技 (二)「かぶカルタ」遊技の流行 かぶカルタ遊技図(『鹿の巻筆』) 貞享三年(1686)刊の『鹿の巻筆』「三人論議」では、主役の一人三郎兵衛は「カルタをすきて、讀(よみ)の、合(あわ)せの、かうなどゝいふ事のみ深(ふか)く望(のぞ)みけり」であり論議の中でカルタを弁護して「讀(よみ)のかるたは壹枚のこり、上(あ)がられぬ事八つの善(ぜん)ありながら、壹... 館長
三 九が勝数のかぶカルタ遊技 (一) 四十枚一組の「かぶカルタ」の発祥 次に、四十枚一組のかぶカルタの発祥である。かぶカルタも江戸時代の史料はほとんどない。その発祥は多くの謎に包まれている。その中で私にとって最大の難問は、江戸時代初期(1603~52)、前期(1652~1704)の社会で、アディング・ゲームとしては「十五」を勝数とするきんごカルタが海外から伝来しているのに、なぜこれと並行し... 館長
二 十五が勝数の「きんご」の遊技法 (二)「きんごカルタ」遊技専用札の発祥 きんごカルタは、始めは一組四十八枚の天正カルタを用いてされていたものと思われるが、それが、同じ四十八枚でも、同じ数字の札は同じ図像で識別しやすく、間違いが起こりにくいように、「ハウ」一紋標の十二枚を四回繰り返すこの遊技に専用のものに改良された。また、この遊技で成立する「役」は、いずれも紋標数に意味があって、花札やめくり... 館長
二 十五が勝数の「きんご」の遊技法 (一)愛知県に残った「四一」という遊技法 カブ遊技図 (『繪本鹿の巻筆』貞享三年) 大正年間(1912~26)の取り締まり当局による名古屋地域の博奕の報告書では、花札を使う「四一(シッピン)」、別名「金吾」「ドサリ」という遊技が記録されている。私は、この遊技法が往時のきんごカルタの遊技法を最もよく留めているものと考えている。報告書によると、この遊技では花札から... 館長
2-3 江戸前期の「きんごカルタ」、「かぶカルタ」、「まめカルタ」の遊技 一 「かう」遊技、「ひいき」遊技の発祥 カブ遊技図(「花下遊楽図屏風」萬野美術館蔵) 『雍州府志』では「かう」「ひいき」という遊技法について、名前だけが出てきて、具体的な内容については分らない。そして黒川道祐はこれらの遊技法を「ひっきょう、博奕の戯である」と切り捨てたが、もう少し丁寧に見ておきたい。 日本のカルタ遊技では、マッチング・ゲーム、特にフィッシング... 館長
三 江戸カルタ研究室による問題提起への応答 (二)『教訓世諦鑑』の検討 貝原益軒 言及するのが遅くなったが、研究室が発掘した文献史料、宝永八年(1711)刊の貝原益軒『教訓世諦鑑』巻二、第三「博奕(ばくえき)」について一言しておこう。私は、この文献の存在することを研究室の指摘で初めて知った。当然、原本を読みたいのであるが、利用可能なものの所在がよく分からず、また、復刻本もない。それどころか... 館長
三 江戸カルタ研究室による問題提起への応答 (一)単なる批判者の責任と対抗学説主張者の責任 私が誤記説批判を文章にしたのはずいぶん以前で、それは当時私一人で行った学界全体を相手にした反乱であったのだが、当時は研究室のサイトはまだ開設されていなくて、私の念頭にもなかった。研究室はその後にこの議論に参加してきたのだが、幸い、従来の通説のこの問題性に気付いたようで、長い時間をかけて十七世紀、江戸時代前期(1652~... 館長
二 『雍州府志』巻七、「賀留多」の解読 (九)『雍州府志』カルタの総合的な読解 以上が、『雍州府志』の該当部分に関する私の読解である。これを全体として理解すれば、黒川は「読み」とともにトリック・テイキング・ゲームの「合せ」を説明していると理解できるし、その文章、文字使いには、上で指摘してきた小さな問題点はあるとしても、トリック・テイキング・ゲームとフィッシング・ゲームを取り違えるような大きな過誤は... 館長
二 『雍州府志』巻七、「賀留多」の解読 (八)「賀留多」第五文節、カルタ札を応用する「歌かるた」 『雍州府志』は次に「歌賀留多」とその遊技法にも触れている。「又賀留多札百枚、半五十札書古歌一首之上句、圍並床上中央残隙地、是謂地、又半五十枚書上歌之下句、是謂出(ダシ)、前所謂中央隙地出置所応手之下句一枚、圍座人各視之所在床上之上句與今所出置之下句、有相合者則取之、然後其所合取之札、筭多者為勝、筭少者為負、是稱歌(ウタ... 館長
二 『雍州府志』巻七、「賀留多」の解読 (七)「賀留多」第四文節、カルタ札を用いる博奕遊技法 賭博遊技カルタ(左:めくりカルタ、右:かぶカルタ、いずれも幕末期) 黒川は第四文節でさらに別の遊技法の説明に進み、「或又謂加宇、又謂比伊幾、或又謂宇牟須牟加留多、其法有若干畢竟博奕之戯也。」と書いた。「あるいはまたかうと言い、またひいきと言う。あるいはまたうんすんカルタと言う。その遊技法が若干あるが、ひっきょう、博奕の... 館長