三 賭博遊技系カルタの 展開 (五)奇術用のカードとトランプ類税 かつて阿部徳蔵は、かるたという遊戯具の世界を、大きくカルタ遊技、カルタ占い、カルタ奇術に三分して体系的に説明した。この優れた先行研究があるので、私も、カルタ占い、カルタ奇術にも関心があったが、カルタ占いに関しては、タロット占いの世界の、他者を寄せつけない独自な発展に圧倒されて早々に撤退した。 『トランプの不思議』(高木... 館長
三 賭博遊技系カルタの 展開 (四)タロット・カードとタロット占い 昭和後期のカルタの展開の中でもう一つ特徴的であったのが、タロットの本格的な導入である。タロットは、もともとヨーロッパでは、遊技用のツールであったのだが、十八世紀ころからこれを占いの世界で使用するようになり、特に二十二枚の大アルカナ札にさまざまな寓意を読みよるようになって、そのいかにも神秘的な構図、図像の魅力が発揮され、... 館長
三 賭博遊技系カルタの 展開 (三)PR花札 「米朝ファミリー和朗亭」(任天堂) ところで、高度成長期に、トランプでは、いわゆるPRトランプであるが、企業が製作経費を負担して、宣伝用に裏面に会社名が入ったり、表面のデザインに商品の写真を盛り込んだり、画家やイラストレーターに新規にデザインを起こさせたりしたものが作られて得意先などに配られた。一線級の画家やイラストレ... 館長
三 賭博遊技系カルタの 展開 (二)PRトランプ制作の活発化 私の個人的な思い出になるが、私は昭和五十年代(1975~84)によく「任天堂」などに出かけてカルタ札の担当者にヒアリングを行って様々なことを教えてもらっていた。その頃は、多くのかるた屋で、地方花札や「めくりカルタ」などの賭博遊技系の地方札はすでに製作が終っていたが、最終の注文主からの不揃い品や欠陥品のクレームが来た時に... 館長
三 賭博遊技系カルタの 展開 (一)トランプ類税法の制定 骨牌税は、カルタ産業の規制に猛威をふるったが、昭和二十六年(1951)に税額を六十円に減額した。この時から、従来の禁止税のような重圧はなくなったが、税の執行については厳格で、立入検査がしばしば行われ、未課税のカルタがあれば厳しく課税された。また、骨牌税法を知らず、免許を持たない者がカルタを製作すれば、これもまた違法行為... 館長
二 骨牌税適用外の「かるた」の消長 (三)「歌合せかるた」の展開 昭和後期(1945~89)の社会では、「百人一首歌かるた」は、なお正月中心の家庭遊戯のツールとして使われていたが、社会の変化、家庭の変化の中で徐々に衰退していた。とくに、和歌に親しむ伝来の文化が日常の生活から消えていくなかでは、百人一首の和歌を諳んじている人間も少なくなり、正月の年中行事としてのかるた取りも盛り上がりに... 館長
二 骨牌税適用外の「かるた」の消長 (二)「郷土かるた」の展開 昭和後期(1945~89)の「いろはかるた」の世界に生じたもう一つの変化が「郷土かるた」の流行である。もともと郷土の風景や名所、祭礼などを詠んだ和歌や俳句をかるたにしようとする智恵は江戸時代前期(1652~1704)からあって「名所歌合せかるた」の類は数多く制作されており、さらに郷土の英雄を取り上げた「いろは武者かるた... 館長
二 骨牌税適用外の「かるた」の消長 (一)戦後社会での「いろはかるた」の展開 昭和後期(1945~89)の日本社会ではカルタ文化は大きく様相を変えた。まず、「いろはかるた」では、伝統的な「犬棒かるた」の人気が低調になる一方で、戦後教育的な内容のものとマスコミの人気者のキャラクターものへの二分化が進みながら毎年の正月に大量に販売された。教育的な内容のものは、教材の製作会社や教育関係の出版社などから... 館長
一 第二次大戦敗戦後の社会とかるた (二)「骨牌税法」の整備、「風俗営業法」の制定 こうしたかるた業界の動きをコントロールしたのは骨牌税法であった。昭和二十年(1945)八月の敗戦時には一組三円の税額であったものを、昭和二十一年(1946)九月に三十円に増額した。しかし、この増額は花札の大きな需要を抑えるほどではなかったので、昭和二十二年(1947)十二月に税額が一組一百円とされ、翌昭和二十三年(19... 館長
一 第二次大戦敗戦後の社会とかるた (一)戦後社会での賭博系カルタ遊技の復活 昭和二十年(1945)、全面的な敗戦に終わった第二次世界大戦はカルタ文化にも大きな傷跡を残した。まず、アジア各地への膨張の最前線にあった花札は、その大きな市場を失った。とくに、朝鮮、満洲、中国の市場を失ったことが大きなダメージであった。また、大阪を始めとして、アメリカ軍による都市爆撃で花札業界の生産システムも大きな被害... 館長