三 賭博遊技系カルタの 展開 (三)PR花札 「米朝ファミリー和朗亭」(任天堂) ところで、高度成長期に、トランプでは、いわゆるPRトランプであるが、企業が製作経費を負担して、宣伝用に裏面に会社名が入ったり、表面のデザインに商品の写真を盛り込んだり、画家やイラストレーターに新規にデザインを起こさせたりしたものが作られて得意先などに配られた。一線級の画家やイラストレ... 館長
三 賭博遊技系カルタの 展開 (二)PRトランプ制作の活発化 私の個人的な思い出になるが、私は昭和五十年代(1975~84)によく「任天堂」などに出かけてカルタ札の担当者にヒアリングを行って様々なことを教えてもらっていた。その頃は、多くのかるた屋で、地方花札や「めくりカルタ」などの賭博遊技系の地方札はすでに製作が終っていたが、最終の注文主からの不揃い品や欠陥品のクレームが来た時に... 館長
三 賭博遊技系カルタの 展開 (一)トランプ類税法の制定 骨牌税は、カルタ産業の規制に猛威をふるったが、昭和二十六年(1951)に税額を六十円に減額した。この時から、従来の禁止税のような重圧はなくなったが、税の執行については厳格で、立入検査がしばしば行われ、未課税のカルタがあれば厳しく課税された。また、骨牌税法を知らず、免許を持たない者がカルタを製作すれば、これもまた違法行為... 館長
二 骨牌税適用外の「かるた」の消長 (三)「歌合せかるた」の展開 昭和後期(1945~89)の社会では、「百人一首歌かるた」は、なお正月中心の家庭遊戯のツールとして使われていたが、社会の変化、家庭の変化の中で徐々に衰退していた。とくに、和歌に親しむ伝来の文化が日常の生活から消えていくなかでは、百人一首の和歌を諳んじている人間も少なくなり、正月の年中行事としてのかるた取りも盛り上がりに... 館長
二 骨牌税適用外の「かるた」の消長 (二)「郷土かるた」の展開 昭和後期(1945~89)の「いろはかるた」の世界に生じたもう一つの変化が「郷土かるた」の流行である。もともと郷土の風景や名所、祭礼などを詠んだ和歌や俳句をかるたにしようとする智恵は江戸時代前期(1652~1704)からあって「名所歌合せかるた」の類は数多く制作されており、さらに郷土の英雄を取り上げた「いろは武者かるた... 館長
二 骨牌税適用外の「かるた」の消長 (一)戦後社会での「いろはかるた」の展開 昭和後期(1945~89)の日本社会ではカルタ文化は大きく様相を変えた。まず、「いろはかるた」では、伝統的な「犬棒かるた」の人気が低調になる一方で、戦後教育的な内容のものとマスコミの人気者のキャラクターものへの二分化が進みながら毎年の正月に大量に販売された。教育的な内容のものは、教材の製作会社や教育関係の出版社などから... 館長
一 第二次大戦敗戦後の社会とかるた (二)「骨牌税法」の整備、「風俗営業法」の制定 こうしたかるた業界の動きをコントロールしたのは骨牌税法であった。昭和二十年(1945)八月の敗戦時には一組三円の税額であったものを、昭和二十一年(1946)九月に三十円に増額した。しかし、この増額は花札の大きな需要を抑えるほどではなかったので、昭和二十二年(1947)十二月に税額が一組一百円とされ、翌昭和二十三年(19... 館長
一 第二次大戦敗戦後の社会とかるた (一)戦後社会での賭博系カルタ遊技の復活 昭和二十年(1945)、全面的な敗戦に終わった第二次世界大戦はカルタ文化にも大きな傷跡を残した。まず、アジア各地への膨張の最前線にあった花札は、その大きな市場を失った。とくに、朝鮮、満洲、中国の市場を失ったことが大きなダメージであった。また、大阪を始めとして、アメリカ軍による都市爆撃で花札業界の生産システムも大きな被害... 館長
三 日本軍内部での花札 (二)敗戦、帝国陸海軍の崩壊、難民化した日本人と花札 戦争中に軍隊で花札に耽った経験は、そう簡単には消え去らない。第二次大戦の末期にソロモン群島ブカ島では、戦意を喪失した日本軍の兵士はアメリカ軍が蒔いた伝単(宣伝ビラ)を拾い集めて貼り合わせて手製の花札を作って日夜遊技に耽っていた。戦争中に米軍の捕虜になった者や、戦後に投降して収容所に入れられた旧軍人・兵士が苦労して手製の... 館長
三 日本軍内部での花札 (一)「軍艦花」の不思議 花札は大日本帝国の陸海軍でも盛んに使用された。古く日清戦争の際に、戦地で花札を行商して大儲けした人がいた。戦時には、兵士とともに物資の輸送などに当たる軍属、軍夫も大量に戦地に派遣されるので、こうした肉体労働者が慰安のために花札で遊ぶことが多かったようである。帝国陸海軍としても、これが公然とした賭博行為に発展しない限り黙... 館長
二 大日本帝国の植民地経営における花札の活用 (四)植民地における「歌合せかるた」 大日本帝國の対外膨張を考える時にもう一つ気になるのは、和歌の「歌合せかるた」である。それには、明治時代からの和歌の政治的活用の経緯が関係する。 明治時代になって、近代的な国家の枠組みを形成する際に、人々が「国民」という一つの塊に属していることを自覚させ、そこから国とその頂点に立つ天皇への忠誠と協力を確保する国民文化を創... 館長