十四 海域アジアのカルタ史を実証性の高い研究領域にしたい

最後になるが、私は、史料探索の努力が足りない学説、史料批判が欠けた学説による私の「幻想」に対する批判についてはとくに応答はしてこなかった。そのレベルならばどうぞご自由に、ということである。同じように、文献史料に頼って記述しているのだが、その文献史料の読み方が初歩的過ぎて誤読が多かったり、ひどいときには江戸時代の原本を読まないで、明治時代以降の活版印刷の復刻資料を読んでそのまま転記して使うので、そのために活版印刷本に不可避の誤記、誤植をそのまま引き継いでいることもある。新発見の史料の紹介と題される論文に接することもあるが、誤字誤読の山を見るにつれて、さすがに読んだり批判したりする意欲が低下する。大学院の教授の場合は、営業が忙しすぎて勉強が全く足りないなとか、オイオイ大学院生あたりに代筆させてノーチェックで自分の仕事として発表かよ、である。一つの極端な例であるが、山口吉郎兵衛の『うんすんかるた』における『雍州府誌』の引用部分にも誤字がある。だから、原本を読んだかのような文章で批判されても、同じ個所に山口と同じ誤記があると、なんだ、山口の孫引きかよと、反応の意欲が一気に薄れる。どうぞご自由にとしか言いようがない。自慢するようだが、私の著書『ものと人間の文化史173 かるた』をお読みいただけば、そこに掲載した江戸時代の史料の画像はすべて原本から直接に撮影したものであることがお分かりいただけると思う。このことを通じて私は、自分の研究の過程では、少なくとも「歴史は史料の原本を見てから書く」という姿勢で臨んでいることを伝えている。研究者にとって、これはその研究活動の深度、学術的な誠実さを自己申告する、最低限の情報開示義務だと思っている。これまでもそういう態度でやってきた。できれば論議の相手にもそうあって欲しい。

私は、黒宮さんの私への批判は、文献史料の研究中心だが誠実に史料探索を積み重ねられ、諸外国の研究にも通じられていて、十六世紀、十七世紀のヨーロッパ各国の言語、ポルトガル古語、スペイン古語、イタリア古語、フランス古語などで書かれたカルタに関連する文献を丁寧に読み解かれたうえで執筆された、おそらく日本で公刊されたヨーロッパのトランプゲームの歴史書としては圧倒的に優れた研究業績を出された研究者からのご発言だと受け止めている。だから黒宮さんは、日本国内の十六世紀、十七世紀のカルタ史についても同じ研究水準で史料探索、史料批判を尽くされたうえでのご批判をなさっているのだと思って重く受けとめ、この著書で多くのことを学んだし、また、大事なページを割いてご批判くださったことには深く感謝している。意見の食い違いはあちこちにあるがそれはそれで良しとしよう。だから例えば、『毛吹草』の「袷」の項目の解釈についてお教えいただいて、言いたいこともあるが、この段階でお教えに反論して「局地戦」を始めないからといって、それは今がまだその時ではないと判断しているからであって、いずれ黒宮さんの、この文献史料に関するご研究の足跡も詳細に分かる形でお教えいただきたいと思っている。今反論しないからと言って、私が言いっぱなしで無責任だとお怒りにならないように願っている。

私は、今回、黒宮さんのご批判を受けて、もう一度自分の思考を見直してみた。東アジアに伝来したカルタ遊技の大きな絵をもう一度描いたことになる。だが、考えてみれば、カルタの「複数経路伝来説」や、「中国人関与伝来説」などは、こんなにはっきりと書いたことはこれまでなかった。山口吉郎兵衛がカルタの物品史料の蒐集に傾けた熱意についても、こんなにきちんと正面から評価する文章を書いたことはなかった。だから、山口の中国的なカルタの蒐集の成果を継承するというか、勝手に頂くというか、江戸時代の日本に、中国人の遊客目当てのカルタ遊技とそのカルタ札があったという指摘は、ちょろちょろとはあちこちで書いていたのだが、それを文章で明示したのも今回が初めてである。黒宮さんにしてみれば、せっかくのご批判なのに、それに対応して弁解するではなく、まるで違った大きな絵を描いて差し上げたので、困惑なさっているかもしれない。私の「複数経路伝来説」にせよ、「中国人関与伝来説」にせよ、「四類型遊技説」でも、私の老いの繰り言としてパスなさってくださっても一向に結構である。世の中は捨てる神あれば拾う神あり、将来、どこかで誰か、研究者の目に留まれば幸いという程度に思っている。

実は今は別のテーマでの新しい著作の原稿をまとめている最中なのだが、先月、黒宮さんの著書を購入して読み、思うところあって書きかけの原稿を一時中断して、この文章を一気呵成に書かせていただいた。記憶頼りの新原稿なので、多くの「幻想」があり、史料提示の不足があり、思わぬ誤解もあるだろう。だが、これが私の五十年の研究の成果であり、言い換えれば、ここまでしかたどり着けなかった限界の告白なのである。思い起こしてみれば、「私はずっと逆風に向かって羽ばたいてきた」という先人の言葉が懐かしい。そしてこの五十年間に、数多くの誤りを犯しながら書いて発表してきたものは取り消せないので、あとは、焼くなり煮るなりご随意に、と思っている。

こうして書いてみて、この五十年、忘れてはいけない「初心」は何とか守り続けたが、右も左も見えず、一歩前がもうすでに闇に隠れているという孤独な初心者の頃から今日までのさまざまなでき事が次々と思い起こされる。人生が走馬灯のように思い起こされたらその人は死期だと言われるので多少怖いが、良かったことも良くなかったことも、圧倒的に懐かしく思い出される。当初は、丁寧にお答えしたいので十頁くらいになるかなと思いつつ走り書きを始めたのに、もうすでに四十ページを超えている。一時は五十ページに達していたが、反省して、最終段階で、この本に関わる範囲での、自分がなしてきたことや、一九七〇年代以来の国内外の研究の同志たちとの「海域アジアのカルタ史を語ろう」という課題意識の共有や共鳴、また、世界各地で多くの友を訪れ、又多くの友を日本に迎えた経緯などについては、すべてを削除した。それでもなお高齢者の長広舌ではた迷惑な公害の一種かなと自省するところもある。

五十年前の日本は、経済の発展と勤労による生活の向上が一本鎗の社会で、遊技の世界は、暇な人間が耽る余りもの、まさに余暇であった。それをまともに研究し、解明しようとする遊戯史研究には学術の世界の居場所もなく、私にしても、法律学者との二枚看板で生計を立ててやっと研究を続けることができた。それだけに、数は少なかったが日本社会での理解ある研究者の友人や、国際社会での研究の同志たちが示してくれた理解と激励にはいつも励まされてきた。しかし、私の研究の道筋には、どう自分に甘く査定してもなお未熟だと自覚させられる足跡は多々残る。友人や同志からの理解と激励に報いることの少なさに恥じ入るばかりである。犯してきた誤った記述には弁解の余地があるとしても、誤った認識、誤った理解については頭を垂れ、非才を恥じる以外に道はない。

他面で、私の研究は、多くの無理解と批判にもさらされてきた。それなのに今日、私がなおカルタ史研究の世界で一定のポジションを失わないでいるとしたら、それは私に学術の才能があったからではなく、この五十年、誰もが無視してきたカルタ史の物品史料と業界の伝承の探索に、それこそ地の底を這うような努力を重ねてきた結果であると思っている。周知のように、無文字文化を対象とする考古学では遺跡と物品史料の探索、発見が研究の基礎である。一方、日本の歴史学は、大学の研究室での文献史資料の解析を主な基礎としてきた。そういう研究手法の違いからすると、私がしてきたのは、カルタに関する近世考古学であったのかとも思える。そして、デジタル化が急激に進行している今日の社会では、世界の歴史学、とくに社会史、文化史の研究は、文献史料のデジタル化だけではなく、世界規模での、遺跡、遺物と言う物品史料、そして伝承という三本の柱の情報のデジタル化で進行している。私も、すでにサイト「日本かるた文化館」の開設と情報開示、情報提供、博物館、史資料館への物品史料の寄付、寄託でこうした研究環境の変化に対応している。だから、文献史学の一本足打法からのご批判に対しては、そうは仰いますが、物品史料や伝承はあなたとは別のカルタ史を語ってくれていますのでお調べくださいとお応えするだけである。

いずれにせよ、恥ずかしながらこうして思考をまとめるきっかけを作ってくださった黒宮さんには感謝している。黒宮さんのような研究者であれば、研究発表の手段には事欠かないと思う。今度は大きな絵もお描きくださって、再度の痛烈なご批判をいただければ幸いである。心してお待ち申し上げる。
(2022年8月1日記)

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