四 日本に伝来したカルタに残る南方中国人との交流の跡

それならば、もしマニラからスペイン系のカルタが伝来したとすると、具体的にはどんなものであったのであろうか。まず気が付くのは、マニラという都市はその名がカルタの遊技用語に由来するといわれるくらいカルタ賭博が盛んだった場所であるから、滞在するスペイン人の船員や商人等の間で一組四十八枚のスペイン風のカードを使うスペイン系のカルタの遊技が盛んで、それが伝来した可能性が想定される。次に、マニラは中国政府の支配権が及ばず、中国人の交易商人、海賊が根拠地として多住していた場所でもあったから、この地の中国人社会で好まれる中国化した遊技も盛んであったと想定される。私はそこに、一組が五紋標、七十五枚のカルタ札を使った遊技があり、それも日本に伝わったのではないかと想像している。こうした理解の論拠となる史料はない。ただ、中国化した一組七十五枚の「うんすんカルタ」が何組か日本国内に残っているだけである。

なお、ここに残るもう一つの謎は、江戸時代前期の文献『雍州府誌』が「ウムスムカルタ」と呼んだカードの正体である。今日の日本に残っているものは一組七十五枚の「うんすんカルタ」であるが、『雍州府誌』がそれと同じ構成のものを「ウムスムカルタ」と呼んだのだろうか、それとも、「うんすんカルタ」より一世代古い「原うんすんカルタ」であろうか、ということである。念のために書いておくが、黒川は、このカルタが一組何枚で構成されているのかについては何も語っていない。海外から伝来した「ウムスムカルタ」は一組七十五枚構成ではなかったかもしれない。以前は、「うんすんカルタ」は一組四十八枚のカルタで行う遊技の名称だとする見解もあった。逆に、「一組七十五枚のテンショウカルタ」という表記の文献史料を見たこともある。この辺は、史料がなさ過ぎて良く分からないが、当時の文化移転に関するいくつかの疑問が残る。

さて、まずはドラゴン・エースである。この札は、十六世紀当時には、ポルトガルでもスペインでも「一」であって「エース」の札であり、一組四十八枚のカルタも、一組七十五枚のカルタも同時に遊ばれていたと思われる東アジアの町で、一組四十八枚のカルタの遊技ではドラゴンカードは「一」にしてエースの扱いなのに、一組七十五枚のカルタのドラゴンカードだけが「一」であることを止めて、常に「龍」(ロハイ)という名前のエース格の絵札扱いに固定化されるということはありえたのだろうか。通常は考えにくい変化であるが、私は、もしかしたら、同じ海域アジアの町でも、海賊のグループが二つ以上あって、各々が管理、営業する賭場での扱いが違ってきたという事態であったかもしれないと考える。ある賭場では、ドラゴンカードは「一」として使われるが条件次第では「エース」になるルールであった、というように使われており、別の賭場では、常に「エース」で、もはや「一」の扱いに戻ることはなくなっていたルールであった、と考えることはできなくはない。日本の裏社会でもしょっちゅう起きていた、ライバルになっている他の組織の賭場との差別化でその賭場にだけ特有のルールを持つという現象である。以前に、兵庫県内のある賭場で、「手本引き」賭博に用いる札としてドリルで穴をあけたものが使われているのを知って驚いたことがある。頭は、「他の組の賭場の札を紛れ込ませてわるさをしようとするイカサマ客退治のおまじないですよ」と笑っていた。多くの客を呼ぶようにルールを変えて、信頼性が高く、なおかつ一層刺激的な賭博にする工夫はマニラなどにもあったと思われる。

だが、いずれの場合であっても、「一」が空席になったからと言って、そこに紋標を一つだけ描いた殺風景な「一」の札を補充するというのが理解しにくい。こういうことが起きるのは、ドラゴンカードはエース級の絵札という観念が当初から徹底して浸透しており、もはやそれを見ても「一」の札というイメージが起らなかった移転先の人々の間であろう。想定されるのは、遠く海外からこのカルタが伝わってきたが、「一」の札がないので遊技の際に不便で、そのうちにどこかの賭場で、それなら欠けている「一」の札を自分たちで作ってしまおうと思い立ったという事態である。こういう変容の可能性は理解できるが、『雍州府誌』の時期には、すでに「ロハイ」と別の「一」の札があったのだろうか。それともそれはもっと後の時代の、別の遊技法で用いるための追加札という考案なのであろうか。ここが、「ウムスムカルタ」は「うんすんカルタ」なのか「原うんすんカルタ」なのかという分かれ目と思われるが、いずれにせよ史料がないので分からない。

次に「ウン」と「スン」である。後世の「うんすんカルタ」では、「ウン」も「スン」もエースよりも強い特別の札であり、火を噴いて天に昇る「火龍」よりも上の札だから、神格を帯びるというのはよく分かる。実際、「ウン」は日本の俗神である。ところが、「うんすんカルタ」では、「ウン」よりもっと上位の「スン」は中国人の高級官僚である。この、「俗神」よりも「官僚」の方が格上というセンスが理解できない。菅原道真は死して天神様に昇格したのであり、天神様より役人姿の菅原道真の方が格上という感覚は日本的ではない。「スン」は簡略だけど皇帝を描いているので官僚よりも偉いのだと考えても、神様相手では上下関係の違和感は変わらない。官僚が神様よりも上位だというのは、強固な官僚支配国家である中国ならではの考え方であって、日本の考え方ではないように思える。またもう一点思うのは、日本に伝来した当初の七十五枚一組の「ウムスムカルタ」では、「ウム」に描かれていたのはもっと別人の、多分、官僚よりも下のクラスの中国の俗神で、日本人には画像のその姿になじみがなくて不気味に分かりにくかったので、中国人にこれは何かと聞いたところ、神だと答えられたので、それならばと、日本人に親しみのある俗神、七福神や達磨に化けさせてしまったのではないかと思う時もある。この想像の先には、伝来したカルタには、すでに一組七十五枚のものがあって、それには中国人官僚を表わす「スム」と、中国の俗神を表わす「ウム」があり、その後に日本国内で生じた変化は、中国の俗神を日本の俗神に代える程度であった、という「妄想」が生じるが、いずれにせよ史料不足で考えが固まってはいない。

そして、第五の紋標、「巴(ともえ)」である。これが有るために、「うんすんカルタ」は日本の発明と理解されてきたのであるが、私には何とも違和感がある。従前からの四つの紋標は、「こん棒」「剣」「聖杯」「金貨」のいずれも物品を描いている。一方「巴(ともえ)」は単なる文様で、物品を表わしていない。したがって、前者の四紋標の図像は立体的であるが、「巴(ともえ)」の図像は平面的であり、違和感がある。江戸時代の優れた絵師が、立体物の描写と平面図形を同列に並べるなどという初歩的な不調和を認めたとは思えない。仮にもし私が第五の紋標を考案するべき立場の人間であったら、「ながきもの」と「まるきもの」に二分する考えがあるから中途半端はだめで、「まるきもの」を一種類増やすとすれば、立体物の中からたとえば「鞠」を選ぶだろうと思う。「貝殻」などでもいいかも知れない。「櫛」や「扇」あるいは「将棋」の駒の形はどうだろうか。これらはいずれも江戸時代前期に京都のかるた職人が実際に頑張って考え出した「かるた」の札の形状である。紋標としてこういう物品から選んで表現するのであれば、細部の描写や彩色は自分なりに決める自由は残っているし、作る側も使う側も楽しめそうである。他の四紋標との間にも「静物画」と「紋章」というほどの大きな違和感はない。他方で、「巴(ともえ)」という紋標はいかにも単調で、殺風景でデザインとしての訴求力が足りなく、面白くない。そうすると、この第五の紋標は、考案された当時はどんなものだったのであろうか。ここでも疑問を解消させてくれる史料の不在が残念である。

ということで、今日まで残されている「ウンスンかるた」のカードには相当に奇妙な印象がある。だが、それが伝来当初からの姿であったのか、後世に日本国内で改良されてこうなったのかは史料がなくて分からない。したがって、『雍州府誌』の言う「宇牟須牟加留多」と後の時代の「うんすんカルタ」との異同はうまく理解できない。

また、「うんすんカルタ」に固有の八人で行う団体戦なども、一組四十八枚のカルタを使って四人で行う遊技法が日本に入ってから大きく変化したと考えるのか、それとも、カルタ遊技の伝来ルートはいくつかあって、これはそもそも一組四十八枚のカルタのルートとは別の一組七十五枚の「うんすんカルタ」の伝来ルートでやってきた、マカオやマニラあたりの遊技法だと考えるか、どちらにも十分な証拠史料がなくて痛み分けであろうか。黒宮さんだったら、私など思いもつかない角度、視点からの論証と解答をお持ちではないかと考えたりしている。

さて、だいぶ脱線してしまった。ここで私が本来述べたかったことは、「うんすんカルタ」には、東アジアの南方中国人文化の匂いが相当にきつく残っており、したがって、ポルトガル船でポルトガル人によってバタヴィアからストレートに日本に運ばれてきたというようには想定しにくいが、かといって、一組四十八枚構成で伝来したポルトガルのカルタが日本国内で改良されて一組七十五枚になったと考えるには、札の構成や図柄などに中国臭さが濃いという違和感があり、そこで第三の道として、ルソン島マニラの中国人海賊集団の社会経由で伝来したという想定にたどり着くということである。こうした私の「妄想」については異論があると思うが、東アジアのカルタ史研究者の姿勢としては、十六世紀、十七世紀の東アジアの海での中国人の活躍にもっと光を、と考えていることはご記憶いただけるとありがたい。

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