海域アジアのカルタ文化(再度の追補版)

2023年7月、中国社会史研究者の上田信(うえだ・まこと)立教大学文学部教授の新著『戦国日本を見た中国人 海の物語『日本一鑑』を読む』(講談社選書メチエ)が刊行された。上田氏は、2005年に東アジア海域の歴史を中国史の側から見る『海と帝国』(講談社)を刊行しており、今回は、それを日本史の側から見るものになっており、海域東アジアの「カルタ」史を語る者は、もう一冊の必読文献を恵まれたことになる。上田氏の両書が相まって、海域東アジア史研究はさらに貴重な羅針盤を得たことになる。

私は、16世紀、大航海時代に、ポルトガル船が海域アジアにやってきてヨーロッパの「カルタ」遊技を広めた経緯に強い関心がある。古い欧米のカルタ史研究者は、海域東アジアには未開の原始的な社会があり、原始的な人々が生活していて、そこに、キリスト教やその他の先進的な文化を持ったポルトガル人が進出して来て、この海域東アジアの人々を啓発し、人々は初めてトランプ遊技に接した幼児のように「カルタ」遊技に接して吸収したという、欧州文化の優越性を根底に置いた粗雑な「アジア・カルタ史」論を唱えてきた。残念なことに、西欧の歴史学を先進的なものと認識して模倣してきた日本の歴史学は、この西欧の価値観を前提にして海域東アジアの歴史を語ってきた。そして、黒宮公彦氏の『トランプゲームの源流』についても、これと同じ基準で、「おいおいヨーロッパ植民地主義者の東アジア史観そのままかよ」と、厳しく批判させていただいた。

上田信氏のご研究は、私と同じく、16世紀の海域アジアには、南方中国人が主役になって、幅広い海上交易や沿岸交易が成立し、それは容易に侵略者、海賊、倭寇の掠奪行為に変身する危うい関係であり、また、交易都市で発達した市民文化が無国籍的に成立していたことを前提とするものである。私は、基本的にこの考え方に立ってこれまで、かるた史の研究を進めてきた。

そして、研究の質という面で言えば、上田氏の緻密で隙のない実証的な研究と、それに支えられた深い考察は、私のような素人論にははるかに及ばない高みに達しており、私は、いつも、とても多くのことを学ばせていただいている。上田市の前著は中国史の角度からこの海域の歴史を見るものであり、近著は日本史の角度から見るものであるので、両者が相まって、東アジア海域社会の文化史の理解が一層深まることを大いに喜ぶところがある。

ただ、こういう基本的な構成のご研究であるので、海域東アジアで、中国史でも、日本史でも届きにくい地域の歴史については、なお書き足りないのではないかと思われる。「カルタ」の伝来史との関係で言えば、バタビアなどの赤道に近い地域の16世紀も気になるが、日本の「カルタ」史との関係で言えば、日本の統治権も、中国の統治権も及んでいなかったフィリピン、マニラのような地域の歴史もお教えいただけるとありがたい。私は、日本の「カルタ」史では、「うんすんカルタ」の伝来とその日本化の経過の根底には、マニラの中国人海賊社会の「カルタ」遊技の影響があるのではないかと考えており、この地域に関する研究が少ないだけに、上田氏のご研究の進展を切望しているのである。

そして、嬉しいことは重なるもので、2023年10月に鹿毛敏夫(かげ・としお)名古屋学院大学国際文化学部長・教授の『世界史の中の戦国大名』(講談社現代新書)が刊行された。鹿毛氏は、『戦国大名の外交と都市・流通』(思文閣出版)、『アジアの中の戦国大名』(吉川弘文館)などの著作のある日本中世史、日本対外交渉史の専門家で、15世紀、16世紀の海域東アジアの全体像の中で日本西部の戦国大名が主権的な地域国家として交易、外交に活躍する様を活写なさっている。

私もまた、研究対象領域は狭いし、研究の深度も浅いが、それでも志は同じで、海域東アジア史の全体像の中でカルタ伝来史を考察し、中国人を主役としてこの海域で展開されていた交易、掠奪、侵略の活動が、カルタ文化の伝播、流行をもたらしたという歴史像を描き、その中で、西国日本でかるた文化が発生し、流行したと指摘してきた。この点で、鹿毛氏は、上田氏と同様に同志であり、学ぶべき師であった。

鹿毛氏も説かれているように、近時の歴史学では、これまでの日本史をもっぱら陸上の日本史と捉え、もっぱら戦いと暴力による政権交代史を勝者を美化する方向で説明してきた、旧来の保守的な発想を批判して、改めて、当時の海域東アジアの全体像の中で、その北端が日本、九州であったと理解し、その地域内で往来した、多くの市民が活躍する「海の日本史」、あるいは海域東アジア史として主張するようになった。

こういう観点から見ると、日本のかるた史研究は悲惨なもので、大正時代に新村出氏が提示した「カルタ・ポルトガル船伝来説」が、史料面での実証性に欠けるのに固着して通説化して長く影響し、大同小異の論拠不明の解説で終始し、物品史料の蒐集で努力した山口吉郎兵衛氏の努力はその後継承されずに、成果物は芦屋市の滴翠美術館の倉庫に眠り続けた。

今さら言っても仕方のないことであるが、山口氏の業績をまっとうに受け継いだのは私が最初であり、残された物品資料を本格的に活用して、そこに多くの発見をしたのも私が最初である。そして、日本に伝来したものとして最初期のヨーロッパのカルタ、16世紀当時の欧州の印刷業の中心地、フランドル地方で製造され、海路日本に届いたものと酷似した同時代の現物を発見、報告したのも私であるし、日本に伝来した中国のカルタの現存最古の遺物を発見してその伝来を証明したのも私である。また、中国側に残る、日本のカルタに触れた古文献で、現在ではまだ「最古」と冠されるものを発見して報告したのも私である。

これらの日本社会に埋もれていて、誰にも注目されていなかった物品史料を私が発見、分析、報告できたのは、いずれも、日本のかるた文化史を海域東アジアの文化史の一部として把握するよう努力してきた孤独な研究の成果である。そして、こういう私にとって、上田氏の業績も、鹿毛氏の業績も、ひたすら学ぶばかりであったが、大きな支えになっていた。

ここで今さら言ってもしょうがないというのは、こういう「海の日本史」という観点は、今なお日本かるた史の研究では異端であり、そこに着目して、物品歴史学の立場に立つて、文献史学的な研究を批判し、克服しようとする研究にお目にかかることがないからである。だから、自分のなしえた研究の成果を回顧するとき、物品史料の新発見や再評価、物品史料に基く新学説の提出をなしえてきたという喜びよりも、これだけ言ってきたのに分かってもらえないのかという哀しみの方が色濃い。そんな気分の時に、黒宮公彦氏の研究成果に接して、思わず爆発してしまったようである。黒宮氏にしてみたら、とんだとばっちりかもしれない。

こういう次第で、今年、2023年に二冊の好著を得た喜びを表し、ぜひともご一読あらんことを願うところである。(2023.10.23)

おすすめの記事