一 歴史研究での「細密画」の手法と「大きな絵」の手法

さて、まず、黒宮さんと私とでは、物を見る角度がまるで違うことから説明を始めよう。黒宮さんは、ご自身で繰り返し述べているように、カルタのゲーム・ルールの発展、変遷への関心が集中的にある研究者であり、その分析と執筆は的確、緻密で鋭い。他方、私は、カルタの文化史に関心があるのであり、ゲームのルールだけでなく、ゲーム用具、とくにカルタ札の展開の歴史、あるいは遊技されていた場所や参加していた人々、さらには、カルタ遊技の背景をなす社会史などに関心が広がっている。いわば黒宮さんは細密画の達人、一方私は大きな絵を描きたいのであり、他人からは大風呂敷とみられるであろうけれども、ゲームの細部での描写、説明の正確さ、鋭さでは黒宮さんには遠く及ばない。今般のご著書でも、多くのことを勉強させていただいた。

ところで、黒宮さんも大きく感じていると思うが、カルタ文化史の研究でもっとも大きな困難はどこにあるのだろうか。私は、それは、絶望的なまでに僅少な、残存史料だと思う。昔から、カルタの遊技に関わるカルタ札やその時の遊技の記録、スコアなどの物品史料は、遊技が終わるとすぐに捨てられてしまう。カルタ札は、普通は表面の内容を知られないように裏面を上にして扱われており、展開されるのは、不完全情報開示ゲームである。だから、内容が対抗する遊技者に暴露されないように、新品で傷や印がないものであることが常に強く求められる。これは特に賭博色の強い遊技の場合に厳しく求められる条件であり、いわゆる賭場では、一日の営業時間の中で何回も用具が入れ替えられる。一方、カルタ遊技のルールや禁則などを記録した文献史料は、これもまたごく僅少である。遊技の当事者は記録を残す動機が薄い。勝負のスコアなども容易に捨てられる。まして、遊技法を書いて残そうというのはごくまれな場合であり、したがって、もともと文献史料の絶対数が少ないうえに、従来はカルタ史研究に学術の世界での市民権がなかったので、歴史学の学術史料として残そうとする動機が薄く、簡単に廃棄されていた。子どもの遊戯の場合は、そもそも記録を期待することが誤りである。こういう悪条件が重なって、貴重な史料はもともと少ないのに次々と消え去ってしまい、遊戯、遊技の方法が分かりにくくなる。

この困難に輪をかけさせるのが、遊技のルールの多様性である。これは以前にある麻雀店の店長さんに聞いた話なのだが、その店にある麻雀卓が全部お客でいっぱいになっているとして、よく見ると、各々の麻雀卓ごとにルールが違うことがある。要するに仲間内の決めがあるということである。「喰いタン」ありとかなしとか、「フリテンリーチ禁止」とか、「チートイツ」認めずとかは分かるけど、「混一色(ホンイーソー)」は図柄が不純だから認めないとか、「役マンガン」はフリテン上りありなどと、訳のわからないルールのグループもある。同じ打牌で二人が同時に上がれる「二塁打」とか、三人の「三塁打」があるグループもある。当人がそれで満足して楽しく遊んでいるのに、とやかく言うつもりはないけど、技能検定試験や資格認定試験の時などはどのルールを採用すれば公平で適正なのか大いに困る。

現代の、業界団体が推奨するルールなどがある遊技の社会でも実際にはルールの統一は難しい。だから、江戸時代の始め、教えてもらうポルトガル人や中国人の船員との間には言葉の壁もあって分かりにくく、それまで見たことも聞いたこともない「南蛮カルタ」の遊技ルールであれば、さまざまに誤解が生じて、各地域でバラバラになる危険性が高かったのではなかろうか。教える側にも統一ルールがあるのではない。出身地とか、年齢、世代など様々な要素で違ったルールになる。極端なことを言えば、南蛮船の船ごとに違い、一隻の船の中でも、ポルトガル人船員や臨時に雇われたスペイン人船員が上甲板で遊ぶルールと、中国人船員や水夫の船底での遊技のルールとが違っていることもありうる。彼らは各々が自分の経験で把握している身近なルールを教えるのであるから様々であり、教わる日本人の側の理解が千差万別になっても不思議ではない。日本人同士の遊技の場でも、ルールで揉めた末に仲間内で新しい合意に達して決まった独自の付加的なルールがあっても不思議ではない。そして、面白そうなルールであれば真似するグループも出て来るだろうし、長い時間をかけて、その地域での「地方札」に標準的なルールができ上るのであろう。カルタ遊技史の文献史料は、絶対数が少ないうえに、各々の述べている内容がうまく一致しないことが多い。私には、この底知れない泥沼のような世界に踏み込む勇気はとても足りない。

こういうカルタ史研究の難点は、黒宮さんはもちろん先刻からご存じで、だから、ルールの再現を志すこの書物には、そのルールの生じた地域、時期、そして再現の足場にした文献史料などをできる限り明確にしようとする努力が随所にみられている。その勇気と努力には尊敬するけれども、著書には黒宮さんの推測や空想が入っていて、現実にこのようなルールで遊ばれていたとは言えないという断り書が随所に出現している。私も、それに準じて、私の主張にも史料不足に由来する多くの「幻想」「空想」があることを述べておこう。

但し、私の「空想」「幻想」は、書斎、研究室に座っていて得たものではない。この五十年間、私は一貫して現場で史料探しをしてきた。たまたま残されているわずかな史料を捜して、骨董市や古書店巡りをずいぶんおこなった。京都や大阪では、かるた屋が多く廃業していく時期であったが、通い詰めて、ギリギリのところで話を聞いた。こうして現地に足を運ぶ中で、「空想」が閃く。その地の業界の古老との何でもない話が大きなヒントになることも少なくなかった。だから、私の「推論」には学術的な史料の探索に努めた「痕跡」程度の実証性はついている。また、先行していた研究者たちの業績の示している膨大な「幻想」の何割かは明らかに史実に反する単なる妄想、「過誤」「誤謬」「偽史」であると整理して「推測」「空想」の世界から排除することもできている。

この数十年の史料探索の旅の間中、私は、「外野の観客席で叫ぶな、グラウンドに出て叫べ」と自戒してきた。乏しい史料しか眼前にできなかったが、それでもその貧弱な武器を手にして一歩前に出る勇気、炎上して火だるまになる覚悟を持てと自分に言い聞かせてきた。言い換えれば、安全な外野席(研究室)に居て、その問題点については確実な史料がありませんので意見を持ちません、と引っ込んで知らんぷりをすることはしないということでもある。そして不思議なことに、一歩前に出てしまうと、それまで見えなかったものが見えてくる。新しい視点の下で、新しい研究の課題、その可能性が見えてくる。

だから私は、私などには手に余る中世、近世のヨーロッパ諸国語の古語、古ポルトガル語、古スペイン語、古イタリア語、古フランス語、それも都市ごとに異なる方言で書かれた書物の精密な読解、史料批判、研究に踏み込まれて当時のトランプの遊技ルールの解明に向かわれ、その成果を著作にされた黒宮さんが、その著作の中で私の所説をご批判くださっているのであるから、当然、十六世紀、十七世紀の日本と関係する地域でのカルタの遊技に関しても同様に精密な史料の讀解、史料批判、研究を経てご批判をいただいているのであろうと思い、黒沢さんが辿り着いたであろう「妄想」には相当の敬意をもって学ばせていただいている。この書でわざわざ一章を割いて私の「妄想」をご批判くださったことには、そこから飛んでくる礫は痛いけど感謝したいと思っている。

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