海域アジアのカルタ文化(追補版)

私が、黒宮公彦氏の著作『トランプゲームの源流第1巻トリックテイキングゲーム発達史』での東アジア、海域アジアにおけるカルタ文化史の理解に対する応答、これはすなわち私が従来から展開してきた所説へのご批判に対する応答でもあるのだが、これをこのサイトで公表したのは昨年の8月である。嬉しいことに、黒宮氏は、本年6月に『トランプゲームの源流第2巻』となる『ギャンブルゲームの変遷』を公にされた。かるた文化史研究の歴史では突出した業績であり、とても嬉しく、有難く拝読させていただいた。

本書でも黒宮氏は、ヨーロッパの遊技史について、ドウポリスなどの著作や通信を基に精緻に整理しており、今後のカルタ文化史にとっても貴重な作品であると思う。ここでは、本書の一読を進めておきたい。そのうえで、私の「応答」も続編を提示させていただく。

黒宮氏の前著、『第一巻』を読んだ時の違和感は、ヨーロッパのカルタ文化史を論じる著作で、なぜ、16世紀、17世紀の東アジア、海域アジア社会におけるカルタ文化に関する史料検索がまったく不十分な歴史像を展開するのかという違和感であった。そしてさらに黒宮氏が、唐突に、この点での自説の展開も不十分ななかで、なぜ貴重なスペースを一章も割いて、突然に江橋説の非難を行ったのかも理解に苦しむところであった。その際の敵意と記述の不正確さは、黒宮氏が文中で謝意を明記されている江戸カルタ研究室のレベルそのままで、やれやれと思うだけであったが、この『第二巻』では、東アジア海域でのギャンブルゲームの変遷については一切触れられていない。また、日本のかるた史についても言及はなく、わずかに79頁で、「花札を用いた「八八」という遊戯にはこのゲーム専用の道具一式があるが、その中にしばしば「菓子札」が含まれる。菓子札にはその名の通り菓子が描かれているが、これは借金をした人に渡される札で、「貸し」と「菓子」を掛けた言葉遊びである」と書かれているだけである。第一巻での黒宮氏の不用意な記述に対して私が述べた「応答」に対する反論がさぞかし多く記載されているのだろうと期待して読んだだけに、日本かるた史に関する研究成果の記述がないことには拍子抜けしてしまったが、学術に対して謙虚なのは歓迎するべき点であろう。なお、「菓子札」については、これが明治二十年代の「八八」の遊技で使われたことはご指摘の通りだが、さて、「八八花」の前身である「東京花」では使われていなかったのだろうか、いやそもそもそれ以前の江戸時代の「武蔵野」では使われていなかったのだろうか、また、「めくりカルタ」ではどうだったのか、もう少し古い時期の文献史料や物品史料を探索した方が安全だったのではないかと思う。

もう一点、私の応答は、16世紀、17世紀の東アジア、海域アジア社会では、カルタ遊技が未発達で、ヨーロッパから伝来したカルタ遊技を幼児のように純真に学んで模倣したという黒宮氏の認識は、一時代以前の、キリスト教とカルタを未開人のアジア人に教えたとするヨーロッパ系の歴史家の偏見そのままで、それでは駄目でしょうという趣旨も含んでいた。これは、かるた文化の日本伝来にも直接に関わる視座の問題であるが、この『第二巻』ではこの点についても一切触れていない。私は自分に都合よく、これは黒宮氏の反省の表れと思っている。黒宮氏が、アジア人蔑視のヨーロッパ史学を卒業されていると期待するところである。

第三に、私は、日本におけるカルタ遊技史の理解において、黒宮氏が、江戸カルタ研究室のように、眼にした新出の史料はいずれも的確にカルタ遊技を語っていると錯覚する文献史学の落とし穴に落ちていることを指摘させていただいた。これはヨーロッパのカルタ文化史研究でも同様なのだが、古い時代の文献史料は、何かしらの目的があって書かれたもので内容に偏りがあり、その時代のカルタの遊技法をゲームの開始時から終了時までバランスよく記述して遊技法の入門書を目指すものはごく少ないと指摘させていただいた。『第一巻』への応答では、江戸時代前期の『雍州府誌』に関する江橋の理解では遊技の途中経過しか分らなくなるので誤読であるという黒宮氏の批判に対して、同書は京都の名所、名物を紹介する趣旨の出版物であり、たまたま取材時に見かけた遊技風景を描写しているだけの話しで、それが中盤戦であればその場面を書くし、終盤戦、あるいはゲームの勝ち負けの判定場面であればそれを書いただけの話しでしょうよ、と応答せていただいた。この点もご理解いただけたようで嬉しい。

第四に、私は、黒宮氏が、『第一巻』において、16世紀、17世紀の南ヨーロッパ諸国の現地語の文献を直接に駆使して著述している点に関連して、引用文献の表示を正確にするように助言させていただいた。今回、『第二巻』ではこの点が改善され、とくに巻末に文献一覧が掲示されていることをありがたく思っている。これによれば、黒宮氏の記述の論拠は、多くを「国際カード協会」(1973年創設、当時の呼称は「カード協会」であったが、のちに「国際」を加えてこの呼称にした)の年報の英語論文、または同協会員との通信に依拠している。“Playing Card Society”が設立された1973年には、私はロンドンに滞在していてイギリス社会文化史に興味が深く、この協会に参加して、日本地域の代表にさせられた。当時の設立メンバーについての思い出は山ほどあるが、いずれにせよ、懐かしい協会である。ただ、そこでの論稿は、16世紀、17世紀の南ヨーロッパ諸地域での現地語ないしラテン語文献の現代英語への翻訳であり、それをさらに日本語に重訳する作業には危険がともなう。洋の東西を問わず、文献史料は嘘を吐く。この点への留保を忘れずに、黒宮氏の研究のさらなる進展を期待している。
(2023.08.31)

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